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南堀江・北堀江と大阪ミナミ

 木津屋のある堀江(南堀江・北堀江)は、とても素敵な街です。このページでは、木津屋治郎兵衛が愛してやまない、堀江及び大阪ミナミ界隈をご紹介いたします。

堀江ニュース

近代大阪と堀江・新町

 堀江とその隣の新町について書かれた本が出版されました。この一冊で、今注目の町「堀江・新町」の歴史が判ります。著者の水知悠之介さんは、以前にも「大阪堀江今昔」(燃焼社)という本を著されていますが、今回の「近代大阪と堀江・新町」は、前著を執筆された以降の新しい情報も盛り込み、以前とはまた切り口の違う作品に仕上がっています。堀江・新町の郷土史などに興味のある方には、是非、読んで頂きたい本でございます。

「近代大阪と堀江・新町」水知悠之介 新風書房 1500円 平成23年10月20日発行


堀江川

南堀江 堀江川跡 その昔、堀江には、堀江川という川が流れていました。ちょうど、現在の堀江公園、高台橋公園(たかきやばしこうえん)あたりを突き抜けるように、東西に流れていました。ちょうど堀江を南北に分けるような感じです。堀江川は、元禄11年(1698年)に掘削の川です。この道を堀江川が流れていたのかーと考えながら、歩いたり車で走ったりすると、感慨深いものがあります。
 写真:西区南堀江4-19〜20付近 黒金橋があった場所です。
 黒金橋は江戸時代には鉄橋(くろがねばし)と表記されていましたが、明治の34年から変わったと伝わっています。


阿弥陀池

北堀江 阿弥陀池 あみだ池筋という道路がありますが、その道路の名前の由来は、阿弥陀池という実在の池からきております。その池は、北堀江3丁目の和光寺の境内にあります。あみだ池筋は、南北に長い道路ですので、北区の大淀方面の方なんかは、お家のそばの道路が、はるか遠くのこんなちっぽけな池の名前からきているなんて、驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。亀さんや鯉が遊んでいます。その点は、四天王寺さんの亀の池と似ておりますが、阿弥陀池は、亀の池を小さくしたような感じでございます。この阿弥陀池より本田善光が阿弥陀如来像を拾い上げて持ち帰った事が、長野県の善光寺の起こりになったとされています。桂春団治の落語「阿弥陀池」でも有名でございます。


御霊神社 堀江行宮

御霊神社

(ごりょうじんじゃ ほりえあんぐう)
 中央区淡路町にある御霊神社の御旅所です。昔は、本社から堀江行宮まで、船渡御を行っていたとの事です。水の都大坂の古き良き日に思いをはせると、夢が大きく膨らみます。
 御祭神は、天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神、応神天皇、源正霊神の五柱でございます。

御霊神社御旅所 堀江行宮:西区南堀江4-28

御霊神社 夏祭り御霊神社 夏祭り夏祭り

2013年7月13日撮影



南堀江の土蔵

南堀江 土蔵 ぽつんと置き忘れられたかのように「土蔵」が建っています。昔の商家などには、当たり前のようにあった土蔵ですが、周りがすっかり変ってしまったこの堀江では、何かオブジェのように感じられます。
 現在でも、郊外の歴史のある町や、市内でも戦火を逃れた一部の町には、こういった土蔵が残っています。しかし、戦火で焼け野原になった堀江地区では、とても珍しいものになっています。
 古い建物を維持する事は、とても大変な事と思われますが、持ち主の方には、是非、後世まで残して頂きたいものです。
 写真:南堀江4丁目28


あみだ池大黒

あみだ池大黒  大阪名物のご菓子といえば、粟おこし・岩おこしですが、200年も前から、その粟おこし・岩おこしを作り続けておられるお店があります。あみだ池の大黒さんです。創業は、文化2年(1805年)です。現在は大きな会社で、各地に販売網を持たれていますが、今も尚、当時の場所に本店を構えられているところが、とても魅力です。お店の裏には、代々の店主が集めた「大黒様」を祀られている蔵があり、とてもいい雰囲気を醸し出しています。
 戦争で焼け野原になった後、一から築き上げてきた逞しい大阪文化も素晴らしいと思います。しかし、昔ながらの伝統を継承されているお店や文化が、大阪にはとても少なく、大黒さんのようなお店は、たいへん稀少な存在です。

あみだ池大黒の蔵あみだ池 大黒様  左の写真が、奇跡的に戦火を免れたお蔵です。外観は現代の建築技術で綺麗に仕上てありますが、中身の構造は当時のままです。
中には、右の写真のような大黒様が約3500体、お店を守っておられます。このお蔵が戦火を免れたのも、納得させられてしまいます。私には、大黒様が、堀江全体を守っておられるように感じます。
 大阪市西区北堀江3−11−26


堀江神社

堀江神社 今は無き「堀江神社」でございます。現在の大阪市立堀江中学校の辺りにございました。1907年(明治40年)8月に難波神社の御旅所と合祀されました。

 この難波神社の御旅所は、岡山県倉敷市にございます「由加神社本宮」の末社でもあり、「由加神社」とも呼ばれます。

 御祭神は、仁徳天皇と家造りの神様であられる彦狭知命(ひこさしりのみこと)でございます。彦狭知命は、由加神社の御祭神でございます。

 写真:難波神社御旅所 西区南堀江1丁目26

レトロビル 細野ビルヂング

新町 細野ビルヂング 場所は堀江ではなく、堀江の北隣の新町にあたりますが、細野ビルヂング(以下細野ビル)というおしゃれなレトロビルが建っています。新町といっても、長堀通り沿いで、堀江に接して建っています。おしゃれなビルといっても、別に何があるという訳でもありません。何もありません。何もないところが、細野ビルの魅力です。建立された1936年(昭和11年)当時のままのすがたで、そのまま建っています。そこが細野ビルの魅力です。数年前までは、エアコンの室外機が壁面に設置されていたのですが、それもオーナーの細野房雄さんのセンスで取っ払われました。手を加えず、建設時のそのままの姿を忠実に残されています。また、経年の実使用により、やむなく手を加えてしまった部分は、細野オーナー自らの手によって、元の形に復元されていっています。
 現在細野ビルは、多彩なアートのためのスペースとして開放されています。また、毎年6月6日には、66展(ろくろくてん)というイベントが開催されます。
 写真:細野ビル 2006年の66展 西区新町4-5-7


三菱発祥の地 岩崎家旧邸跡

北堀江 岩崎家旧邸跡北堀江 岩崎家楠の木 岩崎家舊邸跡と刻まれた石碑です。
この地に、三菱財閥の創業者、岩崎彌太郎の屋敷がありました。昔、この一体(北堀江4東部)は、土佐藩の蔵屋敷があった地域で、近くには、鰹座橋という交差点や土佐稲荷神社など、現在もゆかりの名を留めています。
 この土佐藩の蔵屋敷に「三菱商会」が設立されました。それが、現在まで続く三菱財閥の始まりです。
当時は、土佐藩から送られてくる鰹節などを乗せた船が、長堀川を行き来していました。長堀通として整備された現在では、全くその頃の面影はありません。しかし、当時の情景を頭に思い描く事はできます。そう思って長堀通を眺めるのも、小さな楽しみでもあります。
 岩崎彌太郎は岩崎弥太郎とも表記されます。
 写真:北堀江4丁目2 石碑横には当時からある大きな楠の木も残っております。


浄徳寺

浄徳寺

 浄土真宗本願寺派 浄徳寺は、慶長5年(1600年)創建で、400年以上の歴史があるお寺です。現在は北堀江にございますが、戦前までは、南堀江にございました。昭和20年3月13日の大阪大空襲で、仏閣は全て消滅してしまいましたが、15代目の三原暁誠御住職が、尽力の末、北堀江にて復興されたという経緯があります。
 現在は16代目の三原信隆御住職がお寺を守っていらっしゃいます。
 毎月20日には法座が催されています。毎回、著名な講師の方が来られてお話されています。門徒の方以外でも聴講できます。
 浄徳寺 北堀江3丁目11‐30



南堀江 木津屋

蔵造り商家 戦前まで、南堀江四丁目の日吉橋の北側に、「木津屋」という薬の老舗商家がありました。現在の大阪市立日吉幼稚園の場所です。昭和初期の大阪市西区全図の地図に、「木津屋」の名前が見られるので、結構大きな店であった事がうかがわれます。堀江では珍しい蔵造り建築でした。当時の住所表記は南堀江一番町22番地です。江戸時代には、葭屋町(葦屋町)という名称でした。
 創業は正徳元年(西暦1711年)で、300年近い歴史になります。この店が、当店「木津屋」の戦前までの本家です。当主は代々、木津屋治郎兵衛の名跡を襲名しています。(木津屋治郎兵衛は木津屋次郎兵衛とも表記されます。)

南堀江 木津屋 日吉郵便局も、以前は、この場所にありました。
 写真:下 大阪市立日吉幼稚園北側から、日吉橋方向を望む。
kizuya.jp



マンモスアパート

マンモスアパート 「マンモスアパート」と呼ばれ、一世を風靡しましたが、近頃はそう呼ぶ人も少なく、また建物の存在自体が忘れられております。「マンモスアパート」の正式名称は「西長堀アパート」でございます。

 作家の司馬遼太郎さんも、住まわれておりました。坂本龍馬を主人公とした歴史小説「竜馬がゆく」も、このマンモスアパートで執筆されました。また、大女優の森光子さんも住まわれておりました。

 写真:日本住宅公団 西長堀アパート 大阪市西区北堀江4丁目1



南堀江の横丁

南堀江 横丁 高層マンションラッシュの南堀江ですが、マンションの影にひっそりと隠れて、昔ながらの横丁が残っています。表通りからちょっと横丁に入ると、そこには昭和の香りが漂っています。ケンケンパや、ゴム跳び、ベッタン(メンコ)が似合う小道です。
 写真:南堀江4丁目21〜22


南堀江・北堀江、アメリカ村

南堀江 ミュゼ大阪 今の堀江しか知らない若い世代の方が、10年前の堀江に行けば、きっと道に迷うと思います。これほどまでに、急激に変化した町もそうはないと思います。今やファッションの街「掘江」です。「大阪の代官山」とも言われます。こんな南堀江・北堀江も、ほんの少し前には、「さびれた町」という言葉がぴったりでした。 人通りも少なく、時折、店先から顔をのぞかせる人も、年配の方が目立ちました。
 この南堀江・北堀江の発展に貢献した人が、「ミュゼ大阪」の日限萬里子(ひぎりまりこ)さんです。彼女は、アメリカ村の創設にも貢献しています。アメリカ村を創ったといってもいいでしょう。
 おそらく、南堀江・北堀江・アメリカ村で、遊んでいる人、仕事をしている人のほとんどが、何らかの恩恵を、彼女(日限萬里子さん)から受けていると考えられます。
 日限萬里子さんの事について知りたい方は、「日限萬里子と大阪ミナミの30年(京阪神エルマガジン社)」をおすすめいたします。南堀江・北堀江・アメリカ村でお仕事をされている方は必読です。
 (追記)2005年3月14日、日限萬里子さんは亡くなられました。とても残念な人をなくし、この日、アメリカ村・堀江の歴史に、一つのピリオドが打たれました。
 写真:ミュゼ大阪 西区南堀江1-21



木津川

大阪の木津川木津川とドーム球場「木の津(木津)」を流れる木津川。

「木の津(木津)」の由来は、木の津の起源を今日に継承する「木津屋」のページが詳しいです。
木津屋の歴史(外部リンク)


日吉小学校

日吉小学校大阪市立日吉小学校

明治7年の設立時は、第三大学区第二中学区西大組十九番小学校という名前でした。当家八世木津屋治郎兵衛は、この設立に際し、資金面などで大きく貢献いたしました。

俳優の金田龍之介さんも、日吉小学校出身です。その頃は大阪市日吉尋常高等小学校という名前でした。



盆踊り

海原はるか日吉連合盆踊り大会日吉連合盆踊り大会

日吉小学校にて行われています。以前は日吉公園で行われてしましたが、堀江地域の人口増加によって収容しきれなくなり、場所が変わりました。

【納涼】 堀江在住の漫才師 海原はるかさんが、地域活性化のためいつも応援に来てくれます。むし暑い夏の夜、海原はるかさんの頭はいつも涼しげで、髪の毛で涼を取らせて頂いております(笑)。

写真左:2009年8月22日 写真右:2013年8月23日
海原はるかさんプロフィール 〜松竹芸能所属 漫才コンビ「海原はるかかなた」のボケ役 ブログ



運動会

運動会運動会運動会



準備中


もちつき大会

もちつき大会「日吉連合のもちつき大会」
420キロのもち米を使っての盛大なもちつき大会です。つきたてのお餅で作った善哉はどこの品よりおいしいです。

写真:2013年12月15日日曜日



難波神社

難波神社難波神社2013年7月20日撮影




ここから 〜 堀江以外の大阪ミナミ界隈 〜


北炭屋町、南炭屋町

 最近アメリカ村に遊びに来られている方に、北炭屋町南炭屋町なんて言っても、ちんぷんかんぷんだと思います。私などが良くアメリカ村に遊びに行っていた頃は、北炭屋町や南炭屋町という地名でした。南区という区があった時代です。洋服屋さん、雑貨屋さん、レコード屋さん、楽器屋さんなど、心を掻き立てられるようなお店が一杯ありました。でも、大半のお店は、古い民家を改造したような建物でした。今はすっかり綺麗なビルばかりになってしまい、嬉しいやら悲しいやらです。


南地のお茶屋

お茶屋 島之内 たに川 お茶屋 たに川 大阪の花街で、今も現存すると言えるのは、南地と北新地です。その南地、いわゆるミナミに、今もお茶屋さんが一軒だけ残っております。島之内の「たに川」さんというお店です。お茶屋さんというもの自体、日本全国で見ても、とても稀少な存在になっています。またその殆どが京都にあるのではないでしょうか。そんなお茶屋さんが、このミナミにあるとは、殆どの方は知らないのではないしょうか。また、お茶屋さん自体、それって何?、と思われる方も多いのでは。その歴史に埋もれつつあるお茶屋さんを、島之内「たに川」の若旦那、谷川恵(たにがわめぐむ)さんが、このIT時代に新しい形で広くアピールされています。今後、こういった古い文化が、どんどん見直され、賑わいを取り戻せれる事を願ってやみません。
 写真:島之内「たに川」の建物は、とても近代的に見えますが、中は数奇屋造りになっています。

島之内「たに川」若旦那、谷川恵さんのブログ:上方の宵 若旦那のお座敷入門


大阪の異人館

異人館川口教会

 神戸の異人館は有名でございますが、大阪にも異人館がたくさんございました。現存するものは少ないですが、ほんの少し名残りを残しております。明治時代から大正時代にかけて、大阪西区の川口辺りは川口居留地と呼ばれ、神戸北野の異人館街と同様の外国人居留地でございました。斬新な緑色の建物は、大正3年建築の「木村邸」でございます。外観は神戸北野に見られるような和洋折衷建築のような感じでございますが、内装は和風建築になっております。当時の副知事さんがお住まいになられていた事もございます。
 煉瓦造りの建物は大正9年に建築された「日本聖公会川口基督教会(通称:川口教会)」でございます。
 「木村邸」「川口基督教会」共に、登録有形文化財に指定されています。
 川口居留地が衰退し、神戸に居留地が移ってしまった要因は、河口の水深が浅く大型船が入れなかったためでございます。
 写真:「木村邸」西区江之子島。「川口基督教会」西区川口1、木津川西岸。


船場

大阪船場 繊維の町で有名だった船場ですが、最近はすっかり姿を変えつつあります。大手のアパレル関連問屋は、どんどん撤退し。また、中小の卸屋さんも無くなりつつあります。最近もまた一軒お仕入先がなくなり、淋しいかぎりです。商売人のお仕入れの通りとして賑わっていた南久宝寺の商店街も、ぽつりぽつりと店が減り、その後にはマンションやコインパーキングができています。時代は変るものとはいえ、この町もこの先、どうなっていくのでしょうか。
 しかし、良い傾向もあります。以前は、一般の方お断りの店が多かったのですが、最近は、一般の方でも卸価格で購入できる店も多いので、散策してみると、良い買い物が出きるかもしれませんよ。(2007.5.16)


石畳

新町 石畳新清水寺 石畳 高層マンションが筍のようににょきにょき建ってきた昨今ですが、こんな大阪にも、石畳の風情豊かな景色が所々に残っております。石畳を探しながら、街を散策してみるのも楽しいですよ。
 写真左:西区新町1丁目、右:天王寺区伶人町


新清水寺の玉出の滝

新清水寺 玉出の滝 大阪市内に、滝があるのをご存知でしょうか。もちろん、天然の湧き水の滝です。場所は天王寺区の清水寺(きよみずでら)です。京都の清水寺に対して、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれています。境内南側のがけから、「玉出の滝(たまでのたき)」という、素晴らしい滝が流れております。素晴らしいの意味は、行かれたら判りますが、滝そのものよりロケーションが素晴らしいです。何故ならそこは、高層マンションなどが建ち並ぶ大阪の中心地です。そばには、国道25号線や松屋町筋などの幹線道路が走る、都会のど真ん中です。そんな喧騒の街中から細い道を少し入っていくと、そこには石畳の路があり、その先に「玉出の滝」が現れます。その滝の前に立つと、自分が今何処にいるのか判らなくなってしまいます。時空間を超えるというのはこんな感覚なのではと、思わされるほどです。また、大阪市に自然の滝があるんだと思うだけで、とても感動できます。そして心がとても表れます。四天王寺さんの近くですので、そばを通られた方は、是非行ってみてください。ほんの10分間で、ちょっとした旅行気分が味わえますよ。



【展示会 イベントの記録】

なつかしの昭和新町展

新町展大阪市立中央図書館1Fエントランスギャラリ−にて、「なつかしの昭和新町展」が開催されました。
資料約300点が展示され、当時の花街の様子が目の前に浮かんで来るようでございました。
2008年12月4日(金)〜12月16日(水) 主催 NPOなにわ堀江1500


なつかしの昭和堀江展

大阪市立中央図書館1Fエントランスギャラリ−にて、「なつかしの昭和堀江展」が開催されました。
84年前のパノラマ地図から制作した立体模型や、戦前の古写真など、堀江の歴史を知る興味深い品々が展示されました。
「木津屋」の戦前の写真も展示して頂きました。 なつかしの昭和堀江展のチラシ
2008年12月6日(土)〜12月18日(木) 主催 NPOなにわ堀江1500


堀江の動物・植物に関しての専用ページ →堀江の動物・植物


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