リフォーム・サイズ直し 洋服リフォーム・サイズ直し 洋服リフォーム サイズ直し 修理

南堀江・北堀江と大阪ミナミ

 私どもの店のある堀江(南堀江・北堀江)は、とても良い街です。このページでは、堀江及び大阪ミナミの事をご紹介させて頂き ます。

南堀江・北堀江、アメリカ村

南堀江 ミュゼ大阪 今の堀江しか知らない若い世代の方が、10年前の堀江に行けば、 きっと道に迷うと思います。これほどまでに、急激に変化した町もそうはないと思います。今やファッションの街「掘江」です。「大阪の 代官山」とも言われます。こんな南堀江・北堀江も、ほんの少し前には、「さびれた町」という言葉がぴったりでした。 人通りも少なく、 時折、店先から顔をのぞかせる人も、年配の方が目立ちました。

この南堀江・北堀江の発展に貢献した人が、「ミュゼ大阪」の日限萬里子(ひぎりまりこ)さんです。彼女は、 アメリカ村の創設にも貢献しています。アメリカ村を創ったといってもいいでしょう。
 おそらく、南堀江・北堀江・アメリカ村で、遊んでいる人、仕事をしている人のほとんどが、何らかの恩恵を、彼女(日限萬里子さん) から受けていると考えられます。
 日限萬里子さんの事について知りたい方は、「日限萬里子と大阪ミナミの30年(京阪神エルマガジン社)」をおすすめ致します。 南堀江・北堀江・アメリカ村でお仕事をされている方は必読です。
 (追記)2005年3月14日、日限萬里子さんは亡くなられました。とても残念な人をなくし、この日、アメリカ村・堀江の歴史に、一つの ピリオドが打たれました。
 写真:ミュゼ大阪 西区南堀江1-21



堀江川

南堀江 堀江川跡 その昔、堀江には、堀江川という川が流れていました。 ちょうど、現在の堀江公園、高台橋公園(たかきやばしこうえん)あたりを突き抜けるように、東西に流れていました。ちょうど堀江を 南北に分けるような感じです。堀江川は、元禄11年(1698年)に掘削の川です。この道を堀江川が流れていたのかーと考えながら、 歩いたり車で走ったりすると、感慨深いものがあります。
 写真:西区南堀江4-19〜20付近 黒金橋があった場所です。
黒金橋は江戸時代には鉄橋(くろがねばし)と表記されていましたが、明治の34年から変わったと伝わっています。


阿弥陀池

北堀江 阿弥陀池 あみだ池筋という道路がありますが、その道路の名前の由来は、 阿弥陀池という実在の池からきています。その池は、北堀江3丁目の和光寺の境内にあります。あみだ池筋は、南北に長い道路ですので、 北区の大淀方面の方なんかは、お家のそばの道路が、はるか遠くの、こんなちっぽけな池の名前からきているなんて、驚かれる方も いらっしゃるのではないでしょうか。ほんとに小さなお池です。亀さんや鯉が遊んでいます。その点は、四天王寺さんの亀の池と似て おりますが、阿弥陀池は、亀の池をぐーんと小さくしたような感じです。桂春団治の落語「阿弥陀池」でも有名です。


あみだ池大黒

あみだ池大黒  大阪名物の御菓子といえば、粟おこし・岩おこしですが、 200年も前から、その粟おこし・岩おこしを作り続けておられるお店があります。あみだ池の大黒さんです。創業は、文化2年 (1805年)です。現在は大きな会社で、各地に販売網を持たれていますが、今も尚、当時の場所に本店を構えられているところが、 とても魅力です。お店の裏には、代々の店主が集めた「大黒様」を祀られている蔵があり、とてもいい雰囲気を醸し出しています。
 戦争で焼け野原になった後、一から築き上げてきた逞しい大阪文化も素晴らしいと思います。しかし、昔ながらの伝統を継承されている お店や文化が、大阪にはとても少なく、大黒さんのようなお店は、たいへん稀少な存在です。

あみだ池大黒の蔵あみだ池 大黒様  左の写真が、奇跡的に戦火を免れたお蔵です。外観は現代の建築技術で綺麗に仕上てありますが、中身の構造は当時のままです。
中には、右の写真のような大黒様が約3500体、お店を守っておられます。このお蔵が戦火を免れたのも、納得させられてしまいます。 私には、大黒様が、堀江全体を守っておられるように感じます。
 大阪市西区北堀江3−11−26


レトロビル 細野ビルヂング

新町 細野ビルヂング 場所は堀江ではなく、堀江の北隣の新町にあたりますが、 細野ビルヂング(以下細野ビル)というおしゃれなレトロビルが建っています。新町といっても、長堀通り沿いで、堀江に接して建って います。おしゃれなビルといっても、別に何があるという訳でもありません。何もありません。何もないところが、細野ビルの魅力です。 建立された1936年(昭和11年)当時のままのすがたで、そのまま建っています。そこが細野ビルの魅力です。数年前までは、 エアコンの室外機が壁面に設置されていたのですが、それもオーナーの細野房雄さんのセンスで取っ払われました。手を加えず、建設時の そのままの姿を忠実に残されています。また、経年の実使用により、やむなく手を加えてしまった部分は、細野オーナー自らの手によって、 元の形に復元されていっています。
 現在細野ビルは、多彩なアートのためのスペースとして開放されています。また、毎年6月6日には、66展(ろくろくてん)という イベントが開催されます。
 写真:細野ビル 2006年の66展 西区新町4-5-7


三菱発祥の地 岩崎家旧邸跡

北堀江 岩崎家旧邸跡 北堀江 岩崎家楠の木 岩崎家舊邸跡と刻まれた石碑です。
この地に、三菱財閥の創業者、岩崎彌太郎の屋敷がありました。昔、この一体(北堀江4東部)は、 土佐藩の蔵屋敷があった地域で、近くには、鰹座橋という交差点や土佐稲荷神社等、現在もゆかりの名を留めています。
 この土佐藩の蔵屋敷に「三菱商会」が設立されました。それが、現在まで続く三菱財閥の始まりです。
当時は、土佐藩から送られてくる鰹節等を乗せた船が、長堀川を行き来していました。長堀通として整備された現在では、全くその頃の 面影はありません。しかし、当時の情景を頭に思い描く事は出来ます。そう思って長堀通を眺めるのも、小さな楽しみでもあります。
 岩崎彌太郎は岩崎弥太郎とも表記されます。
 写真:北堀江4丁目2 石碑横には当時からある大きな楠の木も残っております。


南堀江の横丁

南堀江 横丁 高層マンションラッシュの南堀江ですが、マンションの影に ひっそりと隠れて、昔ながらの横丁が残っています。表通りからちょっと横丁に入ると、そこには昭和の香りが漂っています。 ケンケンパや、ゴム跳び、ベッタン(メンコ)が似合う小道です。
 写真:南堀江4丁目21〜22


南堀江の蔵

南堀江 蔵 ぽつんと置き忘れられたかのように「蔵」が建っています。昔の商家等 には、当たり前のようにあった蔵ですが、周りがすっかり変ってしまったこの堀江では、何かオブジェのように感じられます。
 現在でも、郊外の歴史のある町や、市内でも戦火を逃れた一部の町には、こういった蔵が残っています。しかし、戦火で焼け野原になった 堀江地区では、とても珍しいものになっています。
 古い建物を維持する事は、とても大変な事と思われますが、持ち主の方には、 是非、後世まで残して頂きたいものです。
 写真:南堀江4丁目28


浄徳寺

浄徳寺

 浄土真宗本願寺派 浄徳寺は、慶長5年(1600年)創建で、400年 以上の歴史があるお寺です。現在は北堀江に御座いますが、戦前までは、南堀江に御座いました。昭和20年3月13日の大阪大空襲で、 仏閣は全て消滅してしまいましたが、15代目の三原暁誠御住職が、尽力の末、北堀江にて復興されたという経緯があります。
 現在は16代目の三原信隆御住職がお寺を守っていらっしゃいます。
 毎月20日には法座が催されています。毎回、著名な講師の方が来られてお話されています。檀家の方以外でも聴講出来ます。
 浄徳寺 北堀江3丁目11‐30




御霊神社

御霊神社

御霊神社御旅所 準備中




南堀江 木津屋

南堀江 木津屋 その昔、南堀江四丁目の日吉橋の北詰に、木津屋という薬の老舗 商家がありました。現在の大阪市立日吉幼稚園の場所です。昭和初期の大阪市西区全図の地図に、木津屋の名前が見られるので、結構大き な店であった事が伺われます。その頃は南堀江一番町22番地という地名でした。江戸時代は、葭屋町(葦屋町)という名称でした。
 この店の主、木津屋治郎兵衛が私の祖父にあたります。ご先祖が代々200数十年も商いを続けてきた同じ南堀江で、私もささやか ながら仕事ができる事を、これも何かの縁と、とてもありがたく感じています。ちなみに、曾祖父も曾々祖父も木津屋治郎兵衛で、代々 襲名しています。
 (木津屋治郎兵衛が木津屋次郎兵衛と表記された古文書も現存しておりますが。当時の読み重視の慣習によるものです。) kizuya.jp
 創業:正徳元年(西暦1711年)
 日吉郵便局も、以前は、この場所にありました。
 写真:大阪市立日吉幼稚園北側から、日吉橋方向を望む。


北炭屋町、南炭屋町

 最近アメリカ村に遊びに来られている方に、北炭屋町や南炭屋町なんて言っても、ちんぷんかんぷんだと思います。私などが良く アメリカ村に遊びに行っていた頃、あの辺りは、北炭屋町や南炭屋町という地名でした。南区という区があった時代です。洋服屋さん、 雑貨屋さん、レコード屋さん、楽器屋さん等、心を掻き立てられるようなお店が一杯ありました。でも、大半のお店は、古い民家を改造した ような建物でした。(執筆中)


南地のお茶屋

お茶屋 島之内 たに川 お茶屋 たに川 大阪の花街で、今も現存すると言えるのは、南地と北新地です。 その南地、いわゆるミナミに、今もお茶屋さんが一軒だけ残っております。島之内の「たに川」さんというお店です。 お茶屋さんというもの自体、日本全国で見ても、とても稀少な存在になっています。またその殆どが京都にあるのではないでしょうか。 そんなお茶屋さんが、このミナミにあるとは、殆どの方は知らないのではないしょうか。また、お茶屋さん自体、それって何?、と思われる 方も多いのでは。その歴史に埋もれつつあるお茶屋さんを、島之内「たに川」の若旦那、谷川恵(たにがわめぐむ)さんが、このIT時代 に、新しい形で広くアピールされています。今後、こういった古い文化が、どんどん見直され、賑わいを取り戻せれる事を願ってやみません。
 写真:島之内「たに川」の建物は、とても近代的に見えますが、中は数奇屋造りになっています。

島之内「たに川」若旦那、谷川恵さんのブログ:上方の宵 若旦那のお座敷入門


船場

大阪船場 繊維の町で有名だった船場ですが、最近はすっかり姿を変えつつあります。 大手のアパレル関連問屋は、どんどん撤退し。また、中小の卸屋さんも無くなりつつあります。最近もまた一軒お仕入先がなくなり、 淋しいかぎりです。商売人のお仕入れの通りとして賑わっていた南久宝寺の商店街も、ぽつりぽつりと店が減り、その後にはマンションや コインパーキングが出来ています。時代は変るものとはいえ、この町もこの先、どうなっていくのでしょうか。
 しかし、良い傾向もあります。以前は、一般の方お断りの店が多かったのですが、最近は、一般の方でも卸価格で購入できる店も多いの で、散策してみると、良い買い物が出きるかもしれませんよ。(2007.5.16)


石畳

新町 石畳新清水寺 石畳  高層マンションが筍のようににょきにょき建ってきた昨今ですが、こんな大阪にも、石畳の風情豊かな景色が所々に残っております。石畳を 探しながら、街を散策してみるのも楽しいですよ。
 写真左:西区新町1丁目、右:天王寺区伶人町


新清水寺の玉出の滝

新清水寺 玉出の滝 大阪市内に、滝があるのをご存知でしょうか。もちろん 、天然の湧き水の滝です。場所は天王寺区の清水寺(きよみずでら)です。京都の清水寺に対して、新清水寺(しんきよみずでら)とも 呼ばれています。境内南側のがけから、「玉出の滝(たまでのたき)」という、素晴らしい滝が流れております。素晴らしいの意味は、 行かれたら判りますが、滝そのものよりロケーションが素晴らしいです。何故ならそこは、高層マンション等が建ち並ぶ大阪の中心地です。 そばには、国道25号線や松屋町筋等の幹線道路が走る、都会のど真ん中です。そんな喧騒の街中から、細い道を少し入っていくと、そこ には石畳の路があり、その先に「玉出の滝」が現れます。その滝の前に立つと、自分が今何処にいるのか判らなくなってしまいます。 時空間を超えるというのはこんな感覚なのではと、思わされるほどです。また、大阪市に自然の滝があるんだと思うだけで、とても感動 出来ます。そして心がとても表れます。四天王寺さんの近くですので、そばを通られた方は、是非行ってみてください。ほんの10分間で、 ちょっとした旅行気分が味わえますよ。


【番外編】

小野妹子の墓

小野妹子のお墓 大阪府南河内郡太子町の科長神社南側の塚に祭られている、小野妹子の お墓です。 学校の教科書には必ず登場する歴史上の重要人物ですが、このお墓は、結構知られていないのではないでしょうか。また、お墓 は小さく質素なたたずまいです。参られる方も少なく、とてもさみしいので、もっと盛り上げて上げなければと思います。
 小野妹子は、華道の池坊の始祖で、現在も一年に一回、道祖小野妹子墓前祭が、池坊の継承者によって執り行われています。
 小野妹子.org